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2020.06.18

Black Lives Matter ムーブメントの重要性


Photo by Santi Fox on Unsplash

宗教と政治とお金については口にしないというWisdomがアメリカにあります。日本でも同様の風潮がありますが、政治や歴史が複雑に絡んでいる差別問題はアメリカで生活する日本人においてもUnconfortableなトピックの一つでしょう。 「アメリカに差別は無い」なんて言う方がいるならば、アメリカの歴史とアメリカのあらゆるシステムの本質をまったく理解していないといえます。現状の世の中のシステムに恩恵を受けている人は「差別は仕方が無い」と変化を望まないかもしれません。しかし、アフリカ系アメリカ人にとって理不尽で不平等なこの社会の構造を変えたいという思いは400年以上続いています。 もともと奴隷として無理やり連れて来られたことから始まるアフリカ系アメリカ人の歴史は、人間として扱われず、まずは人としての権利を得ることから戦いは始まりました。それから多くの事件やそれに対する反対運動などを繰り返し、少しずつ歴史は変化してきました。それでもなお、根強く存在する差別問題に対し「Enough is enough」と今回のBlack lives matterの動きが激化しました。

I’m not a racist, but… 私は差別者ではないという差別者

「黒人の知り合いもいるし、マイケル・ジョーダンも好きだから、私は差別なんてしていないけど今回の事件はしょうがないでしょ」「だって体大きくて怖いじゃん」「実際犯罪者が多いのも事実だよね」

残念ながら耳にするこれらの発言自体も差別にあたります。アフリカ系アメリカ人だという理由で検問されたり逮捕されたり射殺されている実情が今回の問題のポイントでもあり、あたかもアフリカ系アメリカ人は人間的に悪人が多いというような認識自体が差別なのです。アフリカ系アメリカ人を見ただけで犯罪者だと決めつけてしまう心理は、そのような世の中にしたほうが有利である白人たちによって綿密に作られた社会です。

“白人の方が優秀で人間として優れている” と、あらゆる書物や映画を見て育ってきたら、そういうものなんだとアフリカ系アメリカン自身も信じてしまいます。また、アメリカから世界に発信されるハリウッド映画や音楽、教育を通じて世界中にその認識は広がります。私も日本で生まれ育ち、雑誌や化粧品のモデルには白人が起用され「美白」なんて言葉が未だに用いられている環境下において、「白人とは」「黒人とは」という決めつけ(Bias)やこういう人なんだというステレオタイピングを自然におこなっていました。そんな社会が不公平に決めつけた常識によって人の命が落とされてしまうという現状は変わるべきで、そのためには人々の意識の変化が重要です。

また、低所得の環境を打破する手段があまりにも少ないために、犯罪に手を染めてしまうというこの社会自体を見直さなければならないという思いも、今回のMovementのポイントの一つでもあります。

人種の違いによる優位はないことが生物学的に証明されています

それでもアメリカにおいて高所得者、国会議員、政治家、軍事のトップ、TV局のトップ、映画業界のトップ、教授、大学などの教育機関のトップはそのほとんどが白人によって形成されています。これはもちろん偶然ではなく、奴隷制度が解放された後でも白人には多く土地が分配され、それらの財産を代々引き継ぐことで富が維持できているPrivilage(特権)によるものです。

参考記事

The problem with ‘All Lives Matter’. すべての命が重要だという問題点のすり替え

低所得者居住エリアで生まれ育ったアフリカ系アメリカ人はまともな教育も受けられず、ましてや大学に進学することなんて選択肢にない人がほとんどです。勉強する環境も乏しく、父親は無実の罪で投獄され、病気の母親は職を失い、生きていくための唯一の手段がDrugを売ること——そんな生活を虐げられる十代の若者も珍しくありません。親族や友人の死があまりにも身近であるアフリカ系アメリカンが「我々の命も他の人種と同様に尊いものである」という意味からも、Black Lives Matterというスローガンが拡散されました。

このMovementはGeorge Flyod氏が亡くなってから始まったものではなく、2012年に起こった同様の事件の後、2013年にソーシャルメディアで伝わったものでした。私が生活していたBerkeley(アメリカのフリースピーチmovement発祥の地)においては、数年前からBLMのメッセージは多くの人が心底訴える深刻なメッセージの一つでした。このムーブメントの反証かのように「All lives Matter」というメッセージがソーシャルメディアに発生し、物議を醸しました。これに対して、MusicianのTalib Tweliは「火事が起こっている家が助けを求めている時に、ウチにだって問題あるし」と言っているようなもんだと指摘しています。アフリカ系アメリカ人に起こっている問題について話している間に、「白人だって大変だ」「アジア人だって差別されている」などということは論点がずれています。

コロナウィルスによるストレスがプロテスト(抗議)を生んだという誤解

今回のパンデミックによる自粛生活のストレスのはけ口としてこのプロテストが起こっていると報道するメディアもありますが、根本となる問題は本当に根深く、このような報道の方法には違和感を感じざるを得ません。自粛期間中であったからプロテストに参加することができたという参加者ももちろんいることでしょう。ファッション感覚でプロテストに参加する人もいるかもしれません。しかし、これまで長年人種差別を問題視していた人たちにとって、今回のムーブメントは一過性のものではなく、これまでもアメリカ各地で起こっている同様の事件は数々存在し、大きく報道されないプロテストも何度も起こっています。

今回ここまで問題が大きくなったことの理由の一つに、スマホとソーシャルメディアの利用者の増加があります。これまで明るみにされなかったPolice Brutality(警察による残虐行為)や蔓延るRacism問題が、一般市民が世間に公開していったことで、問題に発展するケースがここ数年増えてきています。そして自粛生活によりソーシャルメディアコンテンツの消費時間も増え、そのような行為の動画がバイラルとなり、多くの人が問題と向き合い、長年積み重ねられていた不正に対する怒りが今回のプロテストの発展につながったわけです。

この微妙なコロナウィルスとプロテストの関係は、ここ数カ月で倒産してしまった会社と似ています。コロナウィルスだけが原因で倒産したわけではなく、これまでも問題があった会社がコロナウィルスによってとどめを刺されたかのように窮地に陥ったケースが多かったようですが、プロテストに関しても、自粛生活が差別問題をより明確に浮き彫りにさせたという見方の方がより正確な捉え方だと思います。

Protest(抗議)に意味はあるのか


Photo by Clay Banks on Unsplash

「暴力に発展してしまうプロテストは危ないし、反抗すること自体が無駄だ」「争いなんてやめて平和にしてほしい。要求することが間違っている」という声を日本にいる友人から耳にしました。場所にもよりますが、今のアメリカでそんなことを発言したら、人間性のない人、あるいは差別者だと軽蔑されるような発言です。しかし、何代にもわたって差別を受けてきた本人でないと、この怒りや憎しみ、悲しみは分からないと思います。アメリカで高校から教育を受け、生活している私も、アフリカ系アメリカンの心の傷を心底理解することはできません。軽蔑されながらも何度も戦い、多くの命を犠牲にし、それでもプロテストを続ける理由は、本当に変化を求めているからです。アフリカ系アメリカンはリベンジを訴えているわけではなく、平等を求めているだけなのです。

実は、プロテストを起こさず、我慢を選択するアフリカ系アメリカ人も実際に多く存在します。しかし、お金もなく、自分の命を犠牲にしても変えなければならないミッションを背負って戦ってきた先人がプロテストを選択し、これまでアメリカの歴史を変えてきたことも事実です。Frederick Douglass、Rosa Parks、Martin Luther King Jr.、Malcom Xなどが、現状を受け入れ、行動を起こさなかったら、未だに奴隷制度が続き、人種売買が横行し、今よりも露骨な差別が氾濫していたことでしょう。マイケル・ジョーダンやタイガー・ウッズ、ビヨンセ、オバマ前大統領が世に出現することもなく、BluesやJazzやHip-hopも生まれることはなかったでしょう。評価はあまりにも過小ですが、アフリカ系アメリカンの貢献はアメリカにとって多大です。アメリカにおいて平等を求めるのは人として当然の権利であり、プロテストは実に自然な流れです。

差別はどこにでもあるという知ったかぶり

アメリカの差別問題を話すにあたり「日本にも差別はある」と分かったフリをするのは浅短です。どの国にも歴史はありますが、二つとして同じものはありません。日本にも残忍な差別が存在するのも事実でしょう。しかし、アメリカに残存するSystemic Racismと比較するのはりんごとオレンジを比較するようなもので性質が違い過ぎます。特定の人種だからという理由で何もしていなくても投獄されたり射殺されたりという日常は変えるべきであり、そんな訴えもPowerのある人種によって抑圧されていた400年の歴史が人々の力によって今変わろうとしているのです。

黒人はこわい、日本人はおとなしいという間違った “常識”

日本人を含むアジア系アメリカ人は、アメリカではモデルマイノリティとカテゴライズされています。もちろんそんなカテゴライズは白人によるもので、要するにプロテストなどを起こすアフリカ系アメリカ人やラテン系アメリカ人に対し「ほらね、マイノリティでもこうやっておとなしい人種もいるでしょ。こういうマイノリティになりなさい」というメッセージがこめられています。しかし、我々は奴隷として大量に連れて来られた過去もなければ、見た目で判断されて歩いているだけで「危険だ」と逮捕される心配はありません。「そりゃアジア人は危なくないもん」と思っている方は、その思考自体がメディアによって築き上げられたものであり、それがRacism(差別)なのだということに気がついていません。

アフリカ系アメリカ人として多くの映画を作成し、新しい歴史を築いたSpike Lee監督が初めてNYUのフィルムスクールに行った時、一番初めに見た映画はD.W.Griffithによる『The Birth of a nation』(元々のタイトルはClansman)だったそうです。 “黒人はレイプをする野蛮人で危ない人間だ” と描かれているこの映画。このような映画が繰り返し制作、放映されることでより一層根付いていくRacismはアメリカ国外にも大きく影響しました。そんな間違った “常識” を日本でも植え付けられていた私は、10代で初めてアメリカ留学を経験した時にそのギャップに驚きました。バスケが嫌いで勉強ができる黒人や、運動も勉強もできない金髪で青い目の白人を初めて目の当たりにしました。白人はメントスのCMのようにみんな爽やかで(古い!笑)、黒人はみんな野蛮で下品だというステレオタイプがみごとに崩された高校生活でしたが、それでもやはり映画ではアジア人は大体白人を助けるオタク役か変人、黒人も白人の主人公をサポートする役がほとんどだった90年代のメインストリーム。Hip-Hopの繁栄によってエンターテインメント市場は大きく変わりますが、それでもステレオタイプ的な描写やRacial Microagression(些細な差別攻撃)の連続により潜在的な意識が形成されているのだと気が付かされました。

ちなみにHip-Hopの功績はアフリカ系とラテン系のマイノリティたちが無から生み出したクリエイションにほかなりませんが、それでもなお、各レコードレーベルオーナーは未だにほとんどが白人という現状です。

とはいえ日本人だし。見て見ぬふりが一番でしょ、という問題


Photo by Dyana Wing So on Unsplash

前途のモデルマイノリティと示されている事実にも見られるように、日本人や他のアジア人は「おとなしい」し、だから争いもなく平和なんだと勘違いしている人がいるようです。確かに、白人に仕えるふりをしてモデルマイノリティ的に不公平な世の中を認知してしまうのは簡単なソリューションに見えます。しかし、それはいじめを容認していじめっ子についてまわる役のような気がして、個人的に好めません。また、そのようにいじめっ子に力を与えることでさらに貧富の差が開き、問題が起こり、争いに発展するのです。

今回のGeorge Floyd氏が亡くなった事件において、直接暴行を加えているのは白人警官ですが、隣に立っていた警官はアジア系アメリカ人であり、警察に通報した店はアラブ系アメリカ人のお店の従業員だと報道されています。BLMの問題はBlack vs. Whiteの問題ではなく、White supremacists vs. Anti-racistsであり、日本人だろうがアラブ人だろうが、アメリカで生活するうえでこの問題をきちんと捉えて正義に向かって行動しなければならないと思います。個人的な希望はさておき、日本で生活している人にこの状況を急にすべて理解するべきだと無理強いできないのは納得できます。しかし、少なくともアメリカで生活している日本人、アメリカと何らかの取引がある日本人においては、状況を理解して行動を起こしてほしいと願っています。アメリカでは飲酒運転を見て見ぬふりをした場合は共犯と見なされます。今回のBLMムーブメントも、事態を知っていて何も起こさないということは不公平で非倫理的な行為に賛成しているということになります。

インスタに溢れた黒い四角い画像に意味はあるのか?

#blackouttuesdayというハッシュタグとともにインスタに流れた真っ黒な四角の画像。類は友を呼ぶのか、私のインスタのFeedは真っ黒に埋まりました。MIT、IDEO、Minted、Guggenheim Museum、artnet……教育機関からデザイン会社、美術館からメディアまで実に多くのアカウントがこのMovementに参加していて個人的にSolidalityのパワーを感じざるを得ませんでした。その後、このFeedによって本当に重要な情報が埋れてしまうのでポストしないでほしいという訴えや、黒い四角をアップしたからって何かした気になるな、などの議論が沸き起こりました。そもそものアイデアは「音楽業界はアフリカ系アメリカ人によって多くの利益を得ている。彼らが今最も助けが必要な時に、余計な話をするのではなく、助けに集中しようじゃないか」と#TheShowMustBePaused というムーブメントから始まりました。Apple MusicやSpotifyはこれに賛同し、特定のBlack Music以外聞けなくなりました。そこから派生し、 “プライベートの情報でソーシャルメディアを埋め尽くすのではなく、みんなで一体となってBLMをサポートしよう”という思いから一気に広がりました。

これに意味はあったのか?——個人的には大きな意味があったと感じています。差別なんて考えてもいなかった人たちが少しでも差別を考えたこと、差別について会話したこと、反対意見も含め意見交換をしたこと、それらに意味があり、ムーブメントをさらに活性化させたと実感しています。個人的にも、1週間以上にわたって商品の宣伝や食べ物のポストなどが限られていたことで、BLMムーブメントに浸り、多くの情報を得ることができました。アフリカ系アメリカ人の変化を求める声がアメリカ国内に留まらず、世界中の多くの人に届いたこと、George Floyd氏の事件に関わった警察官の処分が変わったこと、そしてこれから変わろうとしているほかのさまざまな制度や人々の意識など、今回のBLMムーブメントととそこから派生する動きは、少なからず成果を上げています。

日本人は国民性的に自己主張をしない国民なのか?

日本は単一民族の国であり、「常識」が成り立ち、秩序が守られる素晴らしい国です。しかし、それが裏目に出て「出る釘は打たれる」という窮屈な一面もあると否めません。そこに息苦しさを感じアメリカに来た方も多いことでしょう。また、アメリカから日本を見た場合「女性はこうあるべき」「新人はこうあるべき」「男たる者こうでなきゃ」というような、アメリカではSexistと避難されるような発言やパワハラだと受け取られる行動が目に余ります。「我慢」が美徳とされる教育も日本独自のものかもしれません。しかし、そんな考え方も先天的なものではなく、ところ変われば価値観も変わります。

1966年に結成されアフリカ系アメリカ人の歴史を変えたBlack Panther党にて、日本人であるYuri KochiyamaやRichard Aokiがいかに貢献したかなどはあまり語り継がれていません。Yoko OnoもJohn Lennonの妻であったことばかりが目立ちますが、それ以前にアクティビストであり、多くのプロテストを実行し、非常に大きな功績を残しています。しかし、それらの成功談が一体誰のためになるのか、なんの売上に繋がるのか? 資本主義社会において、もっとも権力のある人間が得としない情報の拡散にはこれまで限界があったために認知されなかったプロテストも実は多いのです。プロテストを起こすことや忍耐度に対して先天的な人種の差異はないはずです。

George Floyd氏の死について


Photo by Clay Banks on Unsplash

日本のメディアに書かれるコメントには「前科のある人なんだから仕方が無い」「国民を守った警察が何故責められているのか」「罪の無い人が殺されたわけじゃ無いのになんでこんなに大騒ぎになるのか」などあまりにも状況を分かっていない意見が目立つので、少しここで解説したいと思います。前科があったことは事実であり、偽札を使用した罪が咎められるのは当然ですが、今回の問題は暴力によって殺される程の罪だったのか、ということです。また、同じような事態が起こっても犯人が白人だったら、「絶対に」殺人には発展していないだろうという専門家の見解はほとんどのアメリカ人が同意するものです。アメリカにおいて、共和党も民主党も誰もが認める現状の差別の実態。繰り返しになりますが、今回のような事件は初めてではなく、これまでも何度も起こっていることで、本当にまったく罪の無いアフリカ系アメリカ人が殺されているケースも多々実在します。それでいて警察官が罪に問われないケースもまた多々存在します。

コメディアンであるDave Chappelleのコメディに、白人の友人とマリファナを吸ってその友人が警察官に話しかけるというシーンがあります。黒人にとっては命取りとなる行為であり、Daveにとっては考えられない行動ですが、白人の友人は警官に注意されるだけで終わります。映画『The 13th』を見ればよく分かるかもしれませんが、アメリカにおいて黒人を投獄することは組織的に仕組まれたことであり、ほとんどのアメリカ国民が差別の現状を知っていて、黙認するか沈黙を破って今回のプロテストのようにアクションを起こすかの2つに分かれているだけだという状況なのです。

最後に

あまりにも長くなってしまった今回の投稿ですが、政治や経済が絡む、とてもセンシティブな問題です。この投稿はあくまで個人的な意見であり、批判的な見方もあるかもしれません。アメリカ在住日本人女性の一意見としてご一読いただけていれば本望です。私は日本とアメリカ両方で生活を経験し、アメリカンヒストリーを学びました。友人にはヨーロッパ系(白人)もアフリカ系(黒人)もラテン系もアジア系もいます。私の考えにもBiasはあり、ほかの意見があっても然るべきだと思っています。それでも私の視点からこの問題を話すことにも意味があると思い、文章に綴りました。

アメリカの偏った教育に対してLove&Hateの感情を持ち続けていることと同様に、この国のシステムの素晴らしい部分と酷すぎる部分の両方を掘り下げ、この国で生活する一人の人間として正しいと思う行動を選択したいと考えています。

おまけ

RacismやPolice Brutalityを理解するのにおすすめの映画をいくつかリストアップします。私の文章よりよっぽど理解しやすいはずです。日本語字幕のあるものもあるようなので、ぜひチェックしてみてください。

– The 13th (2016) (Netflix, Youtubeでフルエピソードが観られます)
– The Hate U Give (2018) (Amazon primeで視聴可) | 日本語字幕予告編
– Hello, Privilege, It’s Me, Chelsea (2019) (Netflixで閲覧可) | 予告編
– Malcom X (1992) (Netflixで視聴可) | 予告編
– American History X (1998) (Netflixで視聴可) | 予告編
– Fruitvale Station (2013) (YouTube, Amazon prime等でレンタル可)
– The Great Debaters (2007) (Youtubeでフルエピソードが観られます)
– Do the Right Thing (1989) (YouTube, Amazon prime等でレンタル可)
– Hidden Figures (2016) (YouTube, Amazon prime等でレンタル可)
*文脈に沿って「黒人」という表現と「アフリカ系アメリカ人」という両方の表現をしています。
*ご指摘やご意見などがあればメールにてお知らせいただけますようお願いします。

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